AIの「目」は止まらない
最近、空港や商業施設でカメラの数が明らかに増えていると感じないだろうか。あれは気のせいではない。顔認識AIや行動分析AIの精度が劇的に向上したことで、監視カメラは単なる「録画装置」から「リアルタイム分析装置」へと進化している。コンピュータビジョンの分野では、人物の歩き方や姿勢から感情状態を推定する技術、さらには混雑した群衆の中から特定個人を追跡するマルチカメラトラッキングが実用段階に入っている。
正直に言うと、エンジニアとして技術的な面白さは理解できる。畳み込みニューラルネットワーク(CNN)とTransformerアーキテクチャの組み合わせが実現したこの精度の高さは、数年前には想像もできなかったレベルだ。しかし同時に、このテクノロジーが社会にどう実装されるかについては、強い懸念を覚えている。
中国モデルと西側の「後追い」
AIによる大規模監視の先駆けとして語られるのは、常に中国の社会信用システムだ。しかし、欧米や日本がそのモデルから距離を置いているかといえば、必ずしもそうではない。米国では法執行機関がClearviewAIの顔認識データベースを活用していることが明らかになっており、英国のロンドンは世界でも有数の監視カメラ密度を誇る都市として知られている。日本でも、2025年に向けた交通インフラや公共空間へのAIカメラ導入計画が着々と進んでいる。
問題は技術そのものではなく、「誰が、どんな目的で、どんな基準のもとでデータを使うか」という運用の透明性だ。現状では、その透明性が極めて低い。市民が自分のデータがどこに蓄積され、何に使われているかを知る手段は、ほぼ存在しない。
エンジニアとして、今考えること
僕がこの問題を考えるとき、いつも思い出すのは「技術は中立ではない」という言葉だ。AIカメラのシステムを設計するエンジニアは、精度を上げることに集中するあまり、そのシステムが誰に対してどう機能するかを後回しにしてしまいがちだ。顔認識AIが有色人種や女性に対して誤認識率が高いというバイアス問題は、すでに複数の研究で指摘されているにもかかわらず、現場への導入スピードは落ちていない。
AIガバナンスの議論はEUのAI Actを中心にようやく具体化しつつあるが、技術の進化スピードに規制が追いつけていないのが実情だ。私たちエンジニアコミュニティの中でも、「プライバシー・バイ・デザイン」の考え方を開発プロセスの早期段階から組み込むべきだという声が高まっている。監視技術の未来がどう形作られるかは、最終的には社会全体の選択にかかっている。しかしその選択肢を設計しているのは、今この瞬間もどこかのエンジニアたちだということを、僕は忘れたくない。
