先日、Googleが公開したCMが海外のテック界隈でかなり話題になっていた。内容は、ジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファーソンといったアメリカ建国の父たちが、まるでGoogleのAIツール「Gemini」を日常的に使いこなしているかのように描写したものだ。SNS上では「不快だ」「歴史を侮辱している」という批判的な声が相次ぎ、広告としての炎上案件として注目を集めた。
なぜこのCMが「不快」と感じられるのか
僕が最初にこのCMの話を聞いたとき、正直「またGoogleが攻めた広告を出したな」という印象だった。しかし詳細を知るにつれ、批判の根拠が単なる感情論ではないことがわかってきた。建国の父たちは、アメリカの民主主義と言論の自由の象徴的な存在だ。彼らがAIによって生成・再現され、現代のテクノロジー製品の宣伝に利用されるという構図は、歴史的文脈を持つ人物のイメージを商業目的に使用することへの倫理的な問いかけを含んでいる。
特に問題視されているのは、「彼らがAIを歓迎していたかのような描写」だという点だ。建国の父たちは実際には啓蒙主義的な思想家であり、自由や自律、批判的思考を重んじた人々だった。そういった人物たちを、企業が提供するAIサービスに依存する姿として描くことには、一種の皮肉や矛盾が生じる。
テクノロジー企業の「歴史の借用」という問題
これはGoogleだけの話ではない。テクノロジー企業が偉人や歴史的人物をマーケティングに活用するケースは以前から存在している。スティーブ・ジョブズが「Think Different」キャンペーンでガンジーやアインシュタインを使ったAppleの例も有名だ。しかし生成AIの登場によって、この問題はより複雑な次元に突入した。実際に動いて話すように見せることが技術的に可能になったからこそ、その使用には以前よりはるかに慎重な姿勢が求められる。
エンジニアとしての僕の立場から言えば、技術的に「できること」と、倫理的に「すべきこと」の間にある溝を、テクノロジー企業は真剣に埋める努力をしなければいけないと思っている。AIが生成できるものの範囲が広がれば広がるほど、その使用基準についての社会的な議論が不可欠になる。
広告が投げかける本質的な問い
このCMが炎上したことには、もう一つ別の側面がある。それは「AIは私たちの生活をどう変えるべきか」という問いに対して、社会がまだ答えを出しきれていないという現実の反映でもあると思う。Googleとしては「AIは誰でも使いこなせる便利なツールだ」というメッセージを伝えたかったのだろう。しかし視聴者の一部には、そのメッセージが強引で表面的に映ってしまった。
僕自身、日々AIツールを使って仕事をしている立場として、AIの便利さは疑いようがないと感じている。だからこそ、その普及のさせ方や見せ方には、もっと繊細な配慮が必要だと強く思う。技術の進歩を誰かのイメージに乗っかって売り込むのではなく、AIそのものの価値をきちんと伝える広告の方が、長期的には信頼につながるのではないだろうか。このCMは反面教師として、業界全体に一つの問いを投げかけてくれたように感じた。
